げんきになるおくすりについて
げんきになるくすり
欝だと診断され、いくつか薬が処方されました。
その中でも、不安なときや、体が動かないときだけ飲んでといわれた薬があり、いやあその効き目がなかなかのもので、あれだけ動かなかったからだがなんだかんだ動く。
その反面、薬によって動かされる恐怖も感じる。
おくすりはすくい
インターネットでちょちょいと検索すると、山ほどくすりを飲んでどうのこうのという話をよく見る。
そういった薬を飲む側で無かった昔は、何を馬鹿なことしてるんだろうと思っていたものだが、飲む側になるとわからなくも無いなというのが正直なところ。
実際動けなかったり、心が沈んでどうにもならない、眠れないというのはつらい。おかしくなりそうだった。どんどん考えが悲観的になるし、どんどん人生がつらくなる。悪いことばかり考えて、最後は死ねば救われるんじゃないかなあと僕の場合は行き着いた。僕はなんとかいやいや仕事で死ぬのも馬鹿らしいでしょと踏みとどまったが。
おいしゃさんのいうことをまもる
くすりによって動けるようになり、助けられた僕だが、やはり、それと同時にくすり恐ろしさも実感している。
あれだけつらくて、動けなかったのに、錠剤を1つ飲むだけで行動できるようになるのだ。もうまほうみたいなものだ。ケアルだかホイミをかけましたといわれても驚かない。もう少し現実に近づけると、モンスターハンターの回復薬のように、飲んで元気になる不思議なものだ。
世の中、そんな飲むだけで元気になる都合のいいものは無い。絶対に今元気になった裏で、何か失っているものがあるはずだ。お金を稼ぐにはつらい労働があるように、その場の元気を得たのだから、ごっそり何かもっていかれているはずである。それが怖い。
頼らざるを得ない状況になってしまったが、本来そんなものは飲まなくても社会生活を送れるはずである。
今は安定しているけれど、どこかでくすりを言われた数以上に飲みたくなることがこれからでてくるかもしれない。だから、今こうして、文章としてやっちゃだめだよと自分に言い聞かせる、確認するために書いておこうと思う。
健康な人はおくすりにあこがれちゃだめだよ!