新卒3ヶ月退職マンの日々

新卒で入社した会社を心の病で3ヶ月で辞めたクソおたくがだらだらと書きます

直感的に作品をたのしんだっていいんだよ

どうしておたくどうしで戦うのか

 ネットをうろうろしていると、あるアニメについて、解釈の対立であったり、あいつはちゃんとアニメを見ていない、浅いやつだという悪口をよく目にする。

 結局のところ世間から見れば同じ気持ち悪いおたくなのだが、どうしてこういうことが起こるのかをちょっと考えてみた。

 

作品に入り込むおたくと、外から見るおたく

 ある作品を鑑賞する際に、大きく分けると2つのスタンスがあると考えている。

 作品に入り込み、作品世界の中にいるタイプと、作品世界を外から見ているタイプだ。前者は感想が直感的になりがちで、後者は他のアニメや声優の演技、あるシーンの分析などを取り上げ、分析しがちになる。

 僕が目にするおたくの世界ではどうも後者が口では強いらしく、そいつはアニメに詳しい、あいつは信頼できると評される。別にアニメや漫画、ゲームを語れて飯が食えないならどうでもいいのだけれど、そのコミュニティで声が大きい人間になりやすい。

 では、作品に入ってみているおたくは、外から見ているおたくに対して劣っているのかといえば、まあそうではなくないというお話が今日はしたいんですねはい。

 

作品に入り込むおたくの楽しみ方

 彼らにある根本的な判断基準は、自分が面白いとおもったかどうかである。何かの続編であるだとか、この表現はどうだとか、そういうことは割りとどうでもいい。アニメならその30分、あるいはその瞬間でも構わない。そのタイミング、今、面白いと感じたかどうかだ。だから、彼らは考えていない。考えていないというのは悪い言い方なので、面白さについて言葉にできないのだ。だって今面白いんだもん。その作品が好きな理由なんて、面白いだけで十分じゃん。

 だから、彼らに何がどう面白かったのかを聞くと、上手くこたえられない。彼らはその作品に入って、登場人物と同じ空気を吸って、同じものを見て、同じことを感じて、それを面白いと感じたからであろう。彼らにとって、作品への鑑賞態度はそれが当然なのだから、面白いと思った以外に理由なんて無いのだ。

 

悲しいことに彼らは浅いと評される

 理由を言えず、面白いと感じていることが多い彼らは、いわゆる、作品を語るおたく、外から作品を鑑賞しているタイプのおたくに浅いだとか、何も考えていないと言われてしまう。逆に言えば、何も考えずとも楽しめる才能があるとも言えるのだが、世の中理由は何かが問われるものだ。社会に出てもなぜなぜ思考やらなんやら、とにかく物事の原因や理由を問われ、直感というものはまったく重視されない。

 あるシーンを取り上げたときに、このカットはこういう意図があってどうのこうのと分析する楽しみ方と、そのシーンに入り込んで、理由はよくわかんないけど面白いという楽しみ方。ぶっちゃけ鑑賞態度なんて人それぞれでいいんだから、優劣を競う必要なんてまったく無いのだけれど、お互い面白いと思ったものを語ると、軋轢が生まれることが多いんだよなあ、悲しいね。

 

最悪のパターン

 最近よく見る最悪のパターンは、作品世界に入って直感的に楽しむおたくが、無理に外から見てるおたくたちの「語る」土俵に入ることだ。

 気持ちは非常にわかる。作品を外から見て、雄弁に語っている人のほうが、なんだか説得力があるし、その人と同じコミュニティに属していた場合、分析的に語っている人のほうが一目置かれたり、発言力が強いことが多い。

 だから、つい、そっち側に行きたくなってしまう。自分を大きく見せようと、無理に語って、すべってころんで大怪我をする。回りからは浅いやら、ちゃんと作品を見れていないと叩かれる。いやあ、おたくの世界も大変だ。同じ面白いでも、そこに行き着くまでが違うのだから、そもそも比べるのが間違っているのだけれど、難しいね。

 

自分を大切に

 なんであの人はあんなにアニメや漫画、映画といった作品について語れるんだろうと思う人が身近にいる場合、気をつけたほうがいい。

 もし、あなたが作品の中に入り込んで、登場人物と共に作品世界を旅しているタイプの鑑賞を行っているなら、そういう人とある作品に対して感想が大きくずれる可能性がある。だからといって、よく語っているあの人が面白いって言ってたし面白いんだろううと思ったり、自分が面白いと思ったものをつまらないと言われて怒ったりするべきではない。

 なぜならば、作品の楽しみ方が違うからだ。雄弁に作品を語る人たちは、今まで自分が蓄積してきた知識、製作者であったり、そのジャンルの歴史であったり、声優の演技であったりから面白さを導き出している。対して、作品の中に入って楽しむ人たちは、過去に何があってどうだかは知らないけど、その瞬間楽しい、面白いと感じているからである。

 詳しいか詳しくないか、語れるか語れないかではなく、そもそもの楽しみ方が違うのだから、同じ作品を見ても、面白いと感じるかそうでないかが分かれるのは当然である。

 

 だから、作品を分析できず、ただ楽しいという人に対して、あいつは浅いとか作品をちゃんと見ていないと叩いたり、いちいち語らないと楽しめないのかよとケンカはやめてほしいなあと思うのでした。でもおたくは自分が好きなものにはうるさいから無理かなあ……

 

 

げんきになるおくすりについて

げんきになるくすり

 欝だと診断され、いくつか薬が処方されました。

 その中でも、不安なときや、体が動かないときだけ飲んでといわれた薬があり、いやあその効き目がなかなかのもので、あれだけ動かなかったからだがなんだかんだ動く。

 その反面、薬によって動かされる恐怖も感じる。

 

おくすりはすくい

 インターネットでちょちょいと検索すると、山ほどくすりを飲んでどうのこうのという話をよく見る。

 そういった薬を飲む側で無かった昔は、何を馬鹿なことしてるんだろうと思っていたものだが、飲む側になるとわからなくも無いなというのが正直なところ。

 実際動けなかったり、心が沈んでどうにもならない、眠れないというのはつらい。おかしくなりそうだった。どんどん考えが悲観的になるし、どんどん人生がつらくなる。悪いことばかり考えて、最後は死ねば救われるんじゃないかなあと僕の場合は行き着いた。僕はなんとかいやいや仕事で死ぬのも馬鹿らしいでしょと踏みとどまったが。

 

おいしゃさんのいうことをまもる

 くすりによって動けるようになり、助けられた僕だが、やはり、それと同時にくすり恐ろしさも実感している。

 あれだけつらくて、動けなかったのに、錠剤を1つ飲むだけで行動できるようになるのだ。もうまほうみたいなものだ。ケアルだかホイミをかけましたといわれても驚かない。もう少し現実に近づけると、モンスターハンターの回復薬のように、飲んで元気になる不思議なものだ。

 世の中、そんな飲むだけで元気になる都合のいいものは無い。絶対に今元気になった裏で、何か失っているものがあるはずだ。お金を稼ぐにはつらい労働があるように、その場の元気を得たのだから、ごっそり何かもっていかれているはずである。それが怖い。

 頼らざるを得ない状況になってしまったが、本来そんなものは飲まなくても社会生活を送れるはずである。

 今は安定しているけれど、どこかでくすりを言われた数以上に飲みたくなることがこれからでてくるかもしれない。だから、今こうして、文章としてやっちゃだめだよと自分に言い聞かせる、確認するために書いておこうと思う。

 

 健康な人はおくすりにあこがれちゃだめだよ!

新卒3ヶ月でお仕事をやめました。

見事退職しました

 残念ながら、この記事は第二新卒のみなさんを励ましたり、仕事、やめちゃおっかな……と考えている人に、私は仕事をやめてこんな成功したよ! と夢を語る内容ではありません。

 心を壊したひとりの気持ちの悪いおたくが、たった3ケ月で仕事をやめたお話をするだけです。

 

IT企業新卒入社文系未経験3ヶ月退社

 仕事を辞めた。IT企業文系出身新卒入社3ヶ月。ハイパーゆとり。人生おわり。

 しかも郵送で退職届を送って音信不通だ。法的にはともかく、社会人としてやっちゃいけない行為だ。読者の皆さんはこうなっちゃだめだよ。

 やめた理由もよくある話、心が折れた。朝起きたら体が一切動かなかった。なきながら精神科に行くと、医者からは中度の鬱と診断された。薬出すから、これ飲んでも、今週出社できなかったら診断書を出すからもう一度きてと言われた。

 しかし、僕にはその翌日からも出社するイメージというか、想像といえばいいのか、自分が会社に行く姿が見えなかった。まったく行く気にならなかった。むしろ、もう行かなくていいものだとも思えた。終わりだ。

 だいたい何だか辞めることが悪いとも思えない。当たり前に、当然のようにもう行けない。そんな感じ。ITにしてはブラックじゃない会社だったけど、まあ悪いところもあったし、もちろんいいところもあった会社だった。

 

親へ電話

 さすがに親に電話で相談した。怒られると思った。それでも最低でも、親にだけは連絡を取ろうと思った。現在僕は地元の大阪から出て、東京で一人暮らしである。失踪扱いになっても困る。

 会社に行く元気や気力はまったくないが、親にだけは義理を通す必要があると、動かない体に鞭打ち、震える手をこらえ、電話をかけた。つらかったけれど、どうせ親のすねをかじらないと死ぬのだ。死ぬのは救いだとも思えたけど、こんなことで死ぬのはくだらない。そう思うだけの心はまだあった。

 

親の返事

 いやあ取り返しがつかなくなる前によく決断したな。父親はそう言った。

 いやいや、履歴書的にはもう取り返しがつかない。

 入社3ヶ月で辞めるというのは、日本ではどう考えても履歴に傷だ。海外は知らないが、日本では致命的な傷となる。人生の終わり。お先真っ暗。明日はなし。世の中が悪いと言いたいのではない。適応できなかった僕が悪い。社会で生きたければ、社会に適合して生きるしかないのだ。

 それができないなら、自分で居場所を作るしかない。でも、僕には起業するような度胸と行動力がなかった。

 続けて、病気になるぐらいだめならとっとと逃げたほうがいい。自分が死んでもやりたい仕事でもないならば、命をかける価値なんてまったくないと父は言った。

 甘い考えだと思う。たぶん、僕を励ますためにそう言ったのだと思う。

 でも、確かに命をかけるほど仕事に執着していたわけでもないし、単に飯食えればいいや程度ではあった。

 ただ、周りの理系卒になめられたくないから、必死に勉強したし、殺意といっていいほどの気持ちで仕事に取り組んだ。結果的に、これがだめだったともいえるのだけれど。

 ともあれ、仕事を通して何かを成し遂げたい人はぜひがんばってほしい。僕にはない価値観だ。

 

求人情報サイトを見る

 親からはいったん休めと言われたものの、何かしてないとおかしくなりそうな、変な焦燥感にかられている。精神科の医者からも、転職は病気が落ち着いてから決めたほうがいいとアドバイスをうけている。確かに正常な判断ができない可能性があるのだから、人生を左右する決断をするべきではない。 

 それでも、情報だけは集めようと、求人サイトを見てみた。希望は大阪に帰ること。実際もう東京にいる意味はないだろう。金を使うだけだ。いったん実家に帰るのは悪くない選択だと思う。第二新卒歓迎で、勤務地は大阪で検索。結構ある。苦しい戦いにはなるかもしれないが、何とか就職はできるかもしれないという希望は見えた。

 

結局どの業種に再就職するのか

 一言で言えば決まっていないが本音だ。

 新卒で入った会社はIT。身につけたスキルはほんのちょっとのJavaPHPの経験、最低限のSQLもかける。フレームワークを使った開発経験があり、単体テストに限ってはテスト仕様書から作成できる。しょぼいがこれぐらいだ。だって3ヶ月だもん。文系卒とはいえ、周りになめられたくなかったので、死ぬほど勉強したと思う。ただ、周りになじめなかったのと、努力努力で抜きどころが自分で見つけられなかったのはよくなかった。反省しなくちゃいけない。

 じゃあもう一度IT企業に行くのか。いやあ、それはちょっとまってくれ。またやるの? あれを? 正直想像がつかない。嫌いなわけではなかったが、ある種今はトラウマ状態だ。趣味でプログラムを書けば何か変わるかもしれないが、今は同じ業界に再就職というのは考えられない。 

 甘えたクソガキだが、正直まだ決まっていないというところに落ち着く。

 

これからについて

 だらだらと書いてなんだが、結局のところこれからどうするかは未定だ。
 入社3ヶ月で逃げるように退社。これ以上に最低な位置もなかなかないだろう。だから、ここから自分がどう考えて、どう行動するか、記録していこうと思う。人に見える形で。誰にも読まれないかもしれないけれども、それでも構わない。もし読んだ人は、こんなクズもインターネットにいるんだなと笑ってほしい。
 長い戦いになるか、短い戦いになるかはわからない。何もかも未定。でも、できる限り毎日記録していこうと思う。
 思ったこと。感じたこと。就職活動以外にも、どこかにいって何を思っただとか、アニメやらゲームをして何を感じたのかなども。ある意味今は自由だ。時間もある。薬を飲めば鬱もまあなんとかなっている。薬すげえわ。だからといって、溺れるのはよくないから、ちゃんとお医者さんの指示通りにする。ここだけはこれからのためにも、きっちり線を引いておかなければだめだと思ってる。
 
 読んでくれてありがとっ! また明日もきてねっ!